【カナタ電話第5巻第1号】

キーワード:당부は目上の人に使えるか

Q:(第5巻第1号:1995年春)「당부 依頼」という言葉を目上の人に使ってはいけないのでしょうか。
A:言葉のマナーが発達している韓国語では、会話の相手や会話の内容によって、違った表現をしたり、使ってはいけない言葉があったりする場合が多くあります。言葉のマナーをきちんと守らないと、言葉を聞いた相手の気分を害することもあり、時には喧嘩になることもあります。主に敬語法に関した問題ですが、語感のために使用に制約を受ける言葉もあります。いちばんよく問題とされるのは「수고하십시오. ご苦労様」という言葉だと思われます。目上の人に、苦労してくださいと言うのは失礼なので、この言葉を目上の人に使うのはいけないと考える人が多いです。しかし、儀礼的な挨拶の言葉と考えて、ためらわずに使用する人もいます。国立国語研究院では、話法の標準化作業をしながら、「수고하십시오」という挨拶言葉を目上の人には使わず、同年輩や目下の者に「먼저 가네, 수고하게. お先に、頑張って」のように使えるようにしました。
 それでは、「당부」という言葉の場合はどうなのかを知るために、まず辞書の意味解釈を見ましょう。

 (どうこうすることを言葉で)しっかりと頼むこと、または、その依頼(金星版国語大辞典)

 「당부」が目上の人に使ってはいけない言葉だという情報は出ていません。しかし、一般的に、国語辞典ではこのような情報まで提供しないことが多いことを考慮すると、もう少し検討してみる必要があります。まず、辞典の解釈を見ると、「당부」は依頼の程度が強い場合に使う言葉であることがわかります。依頼というと、ある事をしてくれと頼むことなので、相手側ではそれだけ負担になる事です。我々の思考形式では、負担になる事をそれも強く目上の人に要求するのは礼儀にもとる態度です。このような理由で、「당부」という言葉を目上の人に使ってはいけない言葉だとみなすようになったのではないかと思います。
 実際に「당부」が使用されている文脈を調べて見れば、主に目上ではない人が相手の場合に使うということがわかります。

 "이조실록"에 따르면 여러 임금들이 기회가 있을 때마다 특히 양반들에게 종이를 아껴 쓸 것을 당부했다.(서정범 외,"숨어사는 외톨박이 1")
 「李朝実録」によれば、いろいろな君主たちが機会がある毎に、特に両班たちに紙を大切に使うようにと頼んだ。(ソジョンボム 他、「隠れ住む単身者1」)
 그는 자손들에게 "절대로 남에게 팔지 말 것"과 “돌 하나 계곡 한 구석 내 손길, 내 발자국 닿지 않은 곳이 없으니 하나도 상함이 없게 할 것"을 당부하였다고 한다. (유홍준, "나의 문화유산 답사기1")
 彼は子孫たちに「絶対に他人に売らないこと」と「渓谷の片隅の石1つでさえ、我が手、我が足跡のつかなかった所はないので、1つとして傷つくことがないようにすること」を頼んだという。(ユ・フンジュン、「私の文化遺産踏査記1」)
 헌병 하나가 뮤직 박스로 다가가더니 홍 씨에게 음악을 멈춰 주도록 당부했다. (조해일, "아메리카")
 憲兵がひとりジュークボックスに近づいて行くと、フンさんに音楽を止めるように頼んだ。(趙海一、「アメリカ」)。

 これらの例の他にも「당부」が使用される文脈は、依頼を受ける相手が目下か少なくとも対等の位置にある人の場合が多いのです。
 しかし、多くはありませんが、「당부」のこのような使い方から外れていると見なすことができる例もあります。

 또 형에게 당부하고 싶은 것은 사람을 쓰는 일입니다. (이문열, "황제를 위하여")
 また、兄さんに頼みたいことは人を使う仕事です。(李文烈、「皇帝のために」 )
 그래 그는 경호가 지기를 의심하는 데도 불구하고 차마 경호의 비밀을 폭로해 주지 못했다, 그는 모친한테도 경호에게는 그 말을 말라고 당부하기까지 하였던 것이다. (이기영, "고향")
 それで彼はキョンホが自分を疑っているにもかかわらず、とうていキョンホの秘密を暴露してやることができなかった。彼は、母にも、キョンホにはそのことを言わないようにと頼みまでしたのだ。(イギヨン、「故郷」)

   しかし、この例をもって,目上の人にも「당부」を使える根拠にしようとするのはためらわれます。兄や母は対等の関係にある人や目下の者ではありませんが、格式張った言葉を使わねばならないほど気を使う相手ではないと考えれば、強く依頼しても容認されうるし、それなら目上の人であっても親密感がある人には使うことができると解釈できるためです。
 めったにはありませんが、主婦が大臣に書いた手紙形式の文章で、「당부」と「드리다 差し上げる」という言葉が一緒に使われた次の例は、さらなる反証とできる例です。

   주부로서 꼭 당부 드리고 싶은 것은 다른 어떤 정책보다도 올해에는 물가 안정에 힘써 주십사는 것입니다. (여원, '77년 1월호)
 主婦から是非お頼み申し上げたいことは、他のどんな政策よりも今年は物価安定に力を入れていただきたいということです(女苑,1977年1月号)。

   「드리다」という言葉は目上の人を対象として行動する時に使用する言葉なので、「당부」と「드리다」が一緒に使われたということ自体、目上の人にも「당부」を使うこともできるということを示していると言うことができます。
 このような例外はあるにはありますが、「당부」は目上の人には使わない傾向が強いと見るのがよいようです。そして、その理由は「당부」という言葉が与える語感のためだと言うことができます。
 開化期以前の文章で使用された「당부」の文脈が今でも特に差がないのを見ると、「당부」のこのような使い方はずっと昔も同じだったように思われます。上で例外と見なした文脈と似た文脈で「당부」が使われた場合があるということまでも同じです。

 부인이 헐 일 업셔 룡을 바리고 갈여 왈 이 실과를 먹고 안졋스라 하니 룡이 울며 한가지로 가자 죠흔 말노 달고 부인과 다라날 거름마다 도라보니 룡이 부모를 부르며 슈히 오라 당부는지라. ("금방울전")
 夫人は止む無く海龍を捨てて去るので,なだめて曰く、この果物を食べて座っていよというと、海龍が泣いて共に行こうと言うので,處士が優しい言葉で慰め,夫人と去る時に,一歩ごとに振り返ると海龍が父母を呼んで早く来てくれと頼むのである。(「金鈴伝」)

 これに比べて「부탁 依頼」には「당부」のような制約がないか、あってもずっと少ないように思われます。目上の人に使用したり「드리다」と一緒に使用した文脈を探すのが比較的容易です。

 부친에게 부탁하여 셋방을 얻어 주고 생활비까지 대준 것도 역시 그런 정신에게서였다. (황순원, "움직이는 성")
 父に頼んで、貸間を借りてやり,生活費まで出してもらったことも、やはりそのような精神からであった。(黄順元、「動く城」)
 다시 말씀드리면, 본관의 방이 붙기 이전까지 나간 것은 조정의 방침이니 죄를 묻지 못하겠지만, 그 이후로 나가면 세로 문제가 된다는 사실을 그 분들께 잘 말씀해 주시기 바랍니다. 이점 거듭 부탁 드립니다. (송기숙, "녹두장군")
 再び申し上げますれば、本官の部屋が付設される以前までに出かけたことは、朝廷の方針でありますので、罪を糺すことはできませんが、それ以後も出かければ、新しい問題になるという事実をその方々によくおっしゃってくださるようお願いします。この点、重ねてお願いいたします(ソンギスク、「緑豆将軍」)。
 특히 세 분께 부탁 드리고 싶은 것은 여기에 피신하시고 계시다가 뒷날 국군 선발대가 오면 어려운 저희 입장을 좀 변호해 주십사는 것입니다. (이문열, "황제를 위하여")
 特に3人にお願い申し上げたいのは、ここに隠れておられて、後日、国軍の先発隊が来たら、私どもの難しい立場をどうか弁護していただきたいということです(李文烈、「皇帝のために」)。
 선생님께 부탁 드리고 싶은 건 가능하다면 제 대신 그 분을 한 번 만나 달라는 거예요. (이병주, "행복어 사전")
 先生にお願いしたいのは、できれば私の代わりに先生がその方に1度会ってくださいということです(イビョンジュ、「幸福語辞典」)。

 
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キーワード:比喩的表現,赤帽

Q:(第5巻第1号:1995年春) 文章の比喩的表現について知りたいです。次のように使ってもいいでしょうか?
  빨간 모자! 이리 오세요. 赤い帽子! こっちへ来てください。
  노란 보퉁이! 저쩍으로 가세요. 黄色い風呂敷包み! あっちへ行ってください。
A: お尋ねの2つの文は厳格な意味で妥当性に欠けた文だと言えるでしょう。無生物に動作を要求している点でそうなります。ところで、人々は上のような文を聞くと、赤い帽子をかぶった人や黄色い包みを持った人を指している言葉であると理解します。もちろん、分かるからといってその文が正しいのではありません。上の文は文法的に確かに問題があります。しかし、修辞学的な面で正しいです。比喩的表現では赤い帽子をかぶっている人に対して、その人の全体的な特徴のうちもっとも目立っている赤い帽子を代表的に指摘することが可能だからです。同様に、その人の特徴の中でもっとも目につくことが黄色い包みを持っているという事実であれば、その「黄色い包み」でその人を代表することができます。すなわち、上の文は全体を構成しているものの一部でもって全体を表現している比喩的手法を使用しています。1つ目の文は関係する人の連続的な一部を表し、2番目の文は分離された一部を表している点で異なっています。前者を提喩(synecdoche)と言い、後者を換喩(metonymy)と呼びます。
 提喩にあたる他の例では「왕눈이 ギョロ目、뻐드렁니 出っ歯、이뿐이 可愛子ちゃん」等、身体上の特徴でその人を示す場合があります。つまり、あだなで呼ぶ場合が判りやすい例となるでしょう。換喩にあたる例としては次のような文章を挙げることができます。

  @그는 박경리를 읽기 좋아한다. 彼は朴景利を読むのが好きだ。
  A파리는 이번 시즌에 더 긴 스커트를 소개하고 있다. パリは今シーズンさらに長いスカートを発表している。
  B청와대는 이 사건에 대해 침묵을 지키고 있다. 青瓦台はこの事件について沈黙を守っている。
  C그는 김환기를 거실에 걸었다 彼はキムハンギを居間に掛けた。
  D오자와는 지난 밤에 형편 없는 연주회를 보여 주었다 小沢は昨晩ひどい演奏会を見せてくれた。

 上の各文は厳格な意味で逸脱した(deviated)文です。@の「朴景利」は「朴景利が書いた本」が省略された表現であり、Aの「パリ」は「パリのファッション界」の省略表現です。Bでは青瓦台と大統領の関係が浮かびます。Cもやはり「キムハンギが描いた絵を居間に掛けた」と言わなければいけないのですが、作品と作者の関係を省略表現で表した例です。Dで「小沢」は「小沢が指揮する交響楽団」の省略表現です。その交響楽団と小沢の関係は、指揮者と指揮される楽団の関係なので換喩的隣接関係が成立するようになります。これと同じく、「生産者-生産品」の関係や「生産地-生産物」の関係、「機関に対する場所」の関係、「会社と会社の製品」との関係、「指揮者と指揮される対象」との関係等が、隣接性の原理に縛られて、比喩的表現を作るのです。しかし、もちろん、この表現は日常言語の文法に熟達してから使うことができる修辞的表現なので、正確な意味を要求する公文書や説明文では避けなければならないでしょう。ただし、より洗練された含蓄のある表現であることは事実です。
 
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