【カナタ電話第10巻第3号】

キーワード:genomの正しいハングル表記は?, 「게놈」 か 「지놈」 か

Q:(第10巻第3号:2000年秋) 新聞を見ると'Genom'を 「게놈」 と記す新聞もあり 「지놈」 と記す新聞もあってまぎらわしいです。どちらが正しいですか?
A: 'Genom'は 「게놈」 と記さなくてはなりません。'Genom'は「遺伝子」を意味する'gen'と「染色体」を意味する'chromosom'の一部が結合して作られた言葉で、「個々の生物体が持つ一組の染色体」を意味する言葉です。この用語は1920年ドイツの植物学者ウィンクラー(Winkler)が初めて使用したといわれています。そういう理由でわが国ではドイツ語の発音どおり 「게놈」 と記してきました。ところが最近アメリカで人間の遺伝的情報解読に関する研究が活発になされるにつれて、英語式発音である 「지놈」 と記さなければならないという見解が出てくるようになりました。しかしながらアメリカで研究が活発だからといって広く使われている言葉をあえて英語式に変えなければならないというものではないと考えます。(これについて「政府言論外来語審議共同委員会(第33次会議,2000.5.30.)」では'Genom'がずっと以前にわが国に入り 「게놈」 として定着している点を勘案して 「게놈」 と記すことを確認したことがあります。)
 
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キーワード:「こう見えても」の正しい表記は?, 「이래」 か 「이레」 か, 「봬도」 か 「뵈도」 か,「」 と 「」 の発音の混同

Q:(第10巻第3号:2000年秋) 「( 이래 봬도 / 이래 뵈도 / 이레 봬도 / 이레 뵈도) 나도 예전에는 잘 나가던 사람이야 (こう見えてもわたしだって昔は羽振り良かったんだ) 」 で正しい表記はどれですか?
A: 「이래 봬도 나도 예전에는 잘 나가던 사람이야」 が適当です。
 「이래 봬도」 の 「이래」 は 「이렇다」 の語幹 「이렇-」 に語尾 「-어」 が結合して 「이레」 と表記するのが正しいのではないかと考える可能性がありますが,それは誤りです。 「파랗다, 노랗다, 퍼렇다, 누렇다」 に語尾 「-어」 が結合して 「파래, 노래, 퍼레, 누레」 と活用することから類推した結果のようです。しかし 「이래, 그래, 저래」 は既存の辞典では 「이레, 그레, 저레」 ではなく 「이래, 그래, 저래」 と記載されています。これは 「이래, 그래, 저래」 の表記が歴史的に固定されたのを反映した結果です。 「이래, 그래, 저래」 という形態で表記が固定された理由は,多くの人々が 「이래, 그래, 저래」 の形態が 「이러하다, 그러하다, 저러하다」 の活用形 「이러하여, 그러하여, 저러하여」 が縮約した 「이러해, 그러해, 저러해」 がさらに縮約して 「이래, 그래, 저래」 となった言葉と認識して [이래], [그래], [저래] と発音したためであると思われます。ですから 「이래, 그래, 저래」 は [이래], [그래], [저래] と発音し 「이래, 그래, 저래」 にその表記が固定されたものであるので、 「이레, 그레, 저레」 と表記してはいけない言葉です。
 一方、 「이래 봬도」 の 「봬도」 を 「뵈도」 と誤って表記する場合もあります。しかし 「봬도」 は 「보다」 の被動詞(受動動詞) 「보이다」 が縮約した 「뵈다」 に仮定や譲歩の意味を表す語尾 「-어도」 が結合した言葉なので 「뵈도」 と書いてはけません。

  뵈(보이)어도 → 봬도

 「되어, 되어도, 되었다」 が縮約した 「돼, 돼도, 됐다」 を 「되, 되도, 됬다」 と誤って表記するのもこれと同様の例に属しますが、これは 「」 と 「」 の発音を混同することから始まったものです。「ハングル正書法」第35項[付則2]に 『「」 のあとに 「-어, -었」 が付いて 「ㅙ, ㅙㅆ」 となるときには縮約のとおりに記す』 と規定しています。すなわち 「뵈어-, 되어-」 が縮約するときには縮約した 「봬-, 돼-」 を書かなければならないのです。ですから 「이래 봬도」 が正しく 「이래 뵈도 / 이레 봬도 / 이레 뵈도」 と書くのは誤りです。
 
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キーワード: 「알다시피」 か 「아다시피」 か

Q:(第10巻第3号:2000年秋) 「너도 알다시피/아다시피 승부의 세계는 냉정하다 (お前も知ってのとおり勝負の世界は冷酷だ) 」で 「알다시피」 と 「아다시피」 のどちらが適当ですか?
A: 動詞 「알다」 の語幹 「알-」 に連結語尾 「-다시피」 が結合した 「알다시피」 が適当です。連結語尾 「-다시피」 は 「알다, 보다, 느끼다, 짐작하다」 等の知覚を表す動詞の語幹に付いて 「-는 바와 같이(○○するように)」 の意味を表します。 「너도 알다시피 내게 무슨 힘이 있겠니, 보시다시피 제 손에는 아무것도 없습니다, 당신도 느끼다시피 요즘 경기가 나빠졌습니다, 짐작하다시피 시험에 떨어졌습니다 (お前も知っているとおり私にどんな力があろうか,ごらんのようにわたしの手には何もありません,あなたも感じているようにこのごろ景気が悪くなりました,推測のとおり試験に落ちました)」 などのように使わなければなりません。
  「알다」 が 「ㄴ, ㅂ, -오, -시-」 の前で 「아는, 압니다, 아오, 아시오」 のように語幹の末音である 「」 が脱落する用言であるために 「아다시피」 のように書かれる傾向がありますが、語尾 「-다시피」 の前では語幹の終声 「」 が脱落する条件をみたしません。したがって 「너도 알다시피 승부의 세계는 냉정하다.」 と書かなくてはなりません。
 
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キーワード: 「그렇지만은」 か 「그렇지마는」 か

Q:(第10巻第3号:2000年秋) 「사정은 딱하다. 그렇지만은 도와줄 형펀이 안 되는구나. 事情は気の毒だ。しかし助けてあげられる状況ではないのだ。」で 「그렇지만은」 は正しい言葉ですか?
A:그렇지만은」 は正しくない言葉です。 「그렇지만은」 というのは韓国語にない言葉です。 「그렇지마는」 が正しい言葉です。 「만은」 と 「-마는」 は結合する言葉が互いに異なります。 「만은」 は 「너만은 믿었다. お前だけは信じた。」 や 「철수만은 올 줄 알았어. チョルスだけは来ると思った」 のように体言と結合し、 「-마는」 は 「밥은 먹었다마는 배가 고프다. ご飯は食べたがおなかがすいている」 や 「오늘은 그냥 가지마는 다음에는 어림없다. 今日はこのまま帰るがこの次はわからないぞ。」 のように語末語尾 「-다」 や 「-지」 と結合します。 「만은」 は補助詞であり 「-마는」 は語尾です。ですから 「사정은 딱하다. 그렇지마는 도와줄 형펀이 안 되는구나.」 と書かなければなりません。
 ところで 「그렇지마는」 の縮約語 「그렇지만」 がありますから 「사정은 딱하다. 그렇지만 도와줄 형펀이 안 되는구나.」 というのは可能な言い方です。もちろんこの場合の 「」 は補助詞 「」 ではなく語尾 「-마는」 の縮約した形です。
 
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キーワード: 「뿐만 아니라

Q:(第10巻第3号:2000年秋) 「철수는 공부를 잘합니다. 뿐만 아니라 운동도 잘합니다. チョルスは勉強が良くできます。のみならず運動も良くできます。」 という文で 「뿐만 아니라」 は 「그뿐만 아니라」 と書くこともしますがどちらも正しい表現ですか?
A: 「그뿐만 아니라」 だけが正しい表現です。 「뿐만 아니라」 の 「뿐만」 は補助詞 「」 にさらに補助詞 「」 が付いたものです。補助詞 「」 は次の例文(1)のように体言や副詞語の後に使われて限定の意味を表し、助詞なので前の語と続けて書かなくてはなりません。

(1)추위와 바람 소리뿐 어디에도 불빛 하나 없었다. 寒さと風の音のみでどこにも灯りひとつなかった。  (補助詞)
  국민은 납세의 의무가 있다. 그뿐만 아니라 국방의 의무도 있다. 国民は納税の義務がある。それだけでなく国防の義務もある。 (補助詞)

 補助詞 「」 は文の先頭にたつことができないので、 「뿐만 아니라」 を文の先頭に使用するのは誤りです。ご質問の文章は助詞 「」 の前に前の文を受ける代名詞をおいて 「철수는 공부를 잘합니다. 그뿐만 아니라 운동도 잘합니다.」 程度に書き改めるのがよろしいでしょう。
 いっぽう 「」 を先行語と分かち書きする場合があります。例文(2)のように用言や叙述格助詞
이다」 の冠形形のあとで「ただどうこうであるとか、どうこうするのみ」という意味を表す依存名詞として使われる場合です。

(2)그는 빙그레 웃기만 할 뿐 아무 말이 없었다. 彼はにっこり笑うだけ何の言葉もなかった。 (依存名詞)
  그는 음정도 부정확할 뿐만 아니라 박자도 못 맞추는 음치이다. 彼は音程が不正確なだけでなく拍子も合わせられない音痴だ。 (依存名詞)

したがってご質問の文章は依存名詞 「」 を利用して 「철수는 공부를 잘할 뿐만 아니라 운동도 잘합니다.」 と書き改めることも可能です。
【注】日本における韓国朝鮮語学では,通常「指定詞」という用語を用いています。(油谷)
 
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キーワード:「아는 체하다」 か 「알은체하다」 か

Q:(第10巻第3号:2000年秋) 「친구가 아는 체하며 말을 걸어왔다」 が正しいですか? 「친구가 알은체하며 말을 걸어 왔다」 が正しいですか?
A:  「친구가 알은체하며 말을 걸어왔다」 が正しいです。 「 알은체하다」 と 「 아는 체하다」 は互いに意味の異なる言葉です。 「 아는 체하다」 は 「知らないのに知っているような態度をとる」 という意味で、 「 몰르면서 아는 체하다가 망신만 당했다. (知らないのに知ったふりをして大恥をかいた)」 のように使われる言葉です。よく 「 친구가 아는 체하며 말을 걸어왔다」 のように使われるのは誤りです。このときは 「 알은체하다」 を使わなくてはなりません。いっぽう 「 알은체하다」 と 「 알은척하다」 は同義語で 「 멀리서 친구 하나가 내 이름을 부르며 알은척했다.(遠くから友達が私の名前を呼んで親しみを示した)」 のように使うこともできます。
 「 알은체하다/알은척하다」 は 「 알다」 の語幹 「 알-」 に冠形詞形語尾 「 -은」 がついた語ですが 「 」 とならないのは 「 알은체하다/알은척하다」 という形式で固定化したためです。ですから 「 알은^척하다」 と分かち書きをすることはできない単語です。

(1)ア 얼굴이 익은 사람 하나가 알은체하며 말을 걸어왔다.(見知った人が親しみを示しながら言葉をかけてきた)
   イ 친구가 알은척하며 내 이름을 불렀다.(友達が親しげに私の名前を呼んだ)
(2)ア 모르면 아는 척하지 말고 가만히 있어.(知らないなら知ったふりしないでじっとしてろ)
   イ *낯선 사람 한나가 아는 척하며 내게 말을 걸어왔다.(見知らぬ人が知り合いのようにして私に声をかけてきた)
 
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