【カナタ電話第12巻第1号】

キーワード:새털같은 날쇠털같은 날

Q:(第12巻第1号:2002年春)「새털같이 하고많은 날 중에 꼭 오늘 만나야 해?」という時,「새털」を「쇠털」と言う人がいます。私はこれまで「새털」だと思っていたのですが,思い違いをしていたのでしょうか?
A: :「쇠털」が合っています。
 「새털」と間違って書かれることがあるのは,「쇠털」と発音が似ているからです。
 「쇠털같이 하고많은 날」とは,数え切れないほど多い日にちを比喩的に言う言葉で,「쇠털 같은 날」とも書きます。1957年に出た『큰사전』に「쇠털같이 많다」という言葉が載って以来,すべての国語辞典に「새털같이 많은 날」ではなく,「쇠털같이 많은 날」が載っています。よって「새털같은 날」や「새털같이 하고많은 날」は,「쇠털같은 날」や「쇠털같이 하고많은 날」のように書かなくてはなりません。
訳注:새털は鳥の羽、쇠털は牛の毛。
 
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キーワード:「Amelie」のハングル表記

Q:(第12巻第1号:2002年春)先日「아멜리에」というフランス映画を見ました。映画のタイトルは主人公の名前なのですが,映画全体を通して一度も「아멜리에」と言わなかったように思います。原語では「Amelie」なのですが,映画の主人公の名前をハングルでどう書いたらいいですか?
A: フランス語の「Amelie」は「아멜리」と表記するのが正しいです。
 外来語を韓国語で表記する時に,原語の発音を考慮せずに,綴りの影響を受けて表記することがよくあります。しかし外来語を韓国語で表記する時には,その原語の発音に従わなくてはなりません。「Amelie」を「아멜리에」と表記するのは,綴りの最後の「e」を表記しようという考えからです。しかしフランス語の母音に続く語末の「e」は発音されません。すなわち「Amelie」の発音は[amεli]となります。よってハングルでは「아멜리」と表記するのが正しいことになります。
 似た例に「세느 강」があります。フランス北部を流れる川である「Seine 」は「세느 강」とすることがありますが,発音は[sεn]であるので,「센 강」が正しいです。
 その一方で,「Amelie」を「아메리」と表記しなければならないのではか,と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし語中の「l(エル)」は母音の前に来る時は「ㄹㄹ」と書くので,「Amelie」は「아멜리」と書くのが正しいです。
訳注:日本での公開名は『アメリ』である。
 
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キーワード:「오랜만에」か「오랫만에」か,「오랜동안」か「오랫동안」か

Q:(第12巻第1号:2002年春)(第12巻第1号:2002年春)「오랜만에」と「오랫만에」,「오랜동안」と「오랫동안」の中で,どれが正しいですか?
A: 「오랜만에」と「오랫동안」が正しいです。
오랜만」を「오랫만」と間違って書くのは,「오랫동안」のように「오래」と「」の間にも「間の」を置かなければならないと考えるためです。しかし「오랜만」は「오래간만」がつづまった言葉であるので,元の言葉の形態を維持した「오랜만」と書くのが正しいのです。
 韓国語において,つづまった言葉を書く時には,「어제그제」(原語)/「엊그제」(縮約形),「바깥벽」(原語)/「밭벽」(縮約形)のように,元の言葉の形態を維持するのが原則だからです。
 そして「오랫동안」はときどき「오랜동안」と誤って書く場合があります。これは「오랜 세월/ 기간/ 만남」のような表現で使われる冠形詞「오랜」と名詞「동안」がつながって構成されていると考えたためです。しかし「오랫동안」は「오래+ㅅ+동안」に由来する言葉なので,「오랫동안」と書くのが正しいです。
 
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キーワード:미어지다메어지다

Q:(第12巻第1号:2002年春)「슬픔으로 가슴이 미어진다.」が正しいですか,あるいは「가슴이 메어진다.」としなければなりませんか?
A:슬픔으로 가슴이 미어진다.」としなければなりません。
 「何かが一杯になって裂けそうだ」という意味の言葉は「미어지다」です。

미어지다
ア. ぴんと張った皮や紙が擦り切れて穴が空く。
イ. 一杯になって裂けそうだ。

 上の説明のとおり,悲しみや苦痛が一杯になって胸が張り裂けそうな時には,「가슴이 미어진다」のように,「미어지다」を使わなければならないことが分かります。
 一方で,「메어지다」は「메다」に「-어지다」が付いた言葉であると分析することができます。「메다」の語義は次のとおりです。

메다
ア. 穴が明いたり,空いているところを埋めたり,塞いだりする。
イ. ある場所が一杯になる。
ウ. 何らかの感情が湧き上がって、声がうまく出ない。

 よって「메어지다」の意味を類推すれば,「悲しみが湧き上がり、声がうまく出なくなる」という意味であることが分かります。しかし実際にはこのような場合でも「목이 메어 아무 말도 하지 못한다.」のように「메다」を使うのが普通です。
 
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キーワード:「한몸」の分かち書きについて

Q:(第12巻第1号:2002年春)「그녀는 만인의 사랑을 한몸에 받았다.」という時,「한몸」の分かち書きの仕方を教えてください。
A:그녀는 만인의 사랑을 한 V 몸에 받았다.」のように分けて書きます。ここで「」は冠形詞として使われ,後ろの言葉を修飾します。
 「」は冠形詞として分けて書かれる場合と,接頭辞としてつなげて書かれる場合があります。まず「」が冠形詞として使われる場合は,「数量が1つであることを表わす時」,「ある」,そして「おおよそ」という意味を表す時です。

(1)ア.  가지만 더 물어보자.
   イ. 옛날 강원도의 마을에 효자가 살고 있었다.
   ウ.  20분쯤 걸었다.

 (1)アの「한 가지」「は数量が1であること」を表し,(1)イの「한 마을」は「ある」,(1)ウの「한 20분쯤」は「おおよそ」という意味です。
 「」が接頭辞として使われるのは,「同じ」という意味を表す時,「大きい」という意味を付け加える時,「正確な」あるいは「最も盛んな時」の意味を付け加える時です。このときは接頭辞なので,後続の語とくっつけて書きます。

(2)ア. 마을/ 집안
   イ. 걱정/ 길/ 시름
   ウ. 가운데/ 여름/ 밤중/ 복판/

 (2)アは「」が「同じ」という意味で用いられた場合であり,(2)イの「」は「大きい」という意味で,(3)ウは「正確だ」あるいは「最も盛んな時」という意味で用いられた例です。
 「한몸」の「」は冠形詞として使われ,「한 v 몸」のように分けて書く場合と,「」が接頭辞として使われ「한몸」と続けて書かれる場合があります。この二つは,意味によってきちんと区別することが可能です.ご質問の「사랑을 한몸에 받았다.」の「한 몸」は「その対象が1つである」という意味で使われる場合であって,「同じ」という意味の接頭辞「-」とは区別されます。よって「한 v 몸」と分けて書きます。

(3)ア. 관심을 한V몸에 받다. 「1つ」の意
   イ. 한몸에서 태어난 형제. 「同じ」の意
 
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キーワード:「깨우쳤다」か「깨쳤다」か

Q:(第12巻第1号:2002年春)「그 아이는 세 살 때 한글을 모두 깨우쳤다.」の下線部は,「깨우쳤다」と「깨쳤다」のどちらが正しいですか?
A:깨쳤다」が正しいです。「깨우치다」は「悟り,分からせる」という意味であり,主に他の人に分からせる場合に用います。

(1)ア. 동생의 잘못을 깨우쳐 주다.
   イ. 선생님은 학생들에게 한글을 깨우쳐 주신다.

 これに対して「깨치다」は「ものの道理等を悟る」という意味であり,みずからが悟ることを表します。

(2)ア. 저 스님은 도를 깨친 사람이다.
   イ. 아이가 벌써 곱셈의 원리를 깨쳤다..

 ご質問の文章は,他の人がハングルを理解できるように助けてやったという意味ではなく,みずからがハングルを分かるようになったという意味なので,「그 아이는 세 살 때 한글을 모두 깨쳤다.」が正しいです。
 
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キーワード:「쥐어 주다」か「쥐여 주다」か

Q:(第12巻第1号:2002年春)「그녀는 조카에게 용돈을 쥐어 주었다」の「쥐어 주었다」は正しい表記ですか?
A:正しくありません。「쥐여 주었다」が正しい表記です。「쥐어 주다」と「쥐여 주다」は発音が同じ[쥐여주다]であるため混同することがあります。しかしこれらは形態と用法に明確な違いがあるため,それぞれ区別しなければならない言葉です。
 「쥐여 주다」の「주다」は動詞の後ろで「-어 주다」の形で使われて,他の人のためにある行動をするという意味を表す言葉です。ここで「行動」とは主体の直接的な行為である場合もありますが,他の人にある行為をするようにさせる行為である場合もありえます。

(1)ア. 그는 아이가 싫어하는 파를 대신 먹어 주었다.
   イ. 보호자가 환자에게 밥을 먹여[먹이어] 주었다.

 (1)アは「」が「아이」のために直接ねぎを食べる場合であり,イは「보호자」が「환자」のためにご飯をさじですくって食べることができるようにしてやる場合です。前者は「-어 주다」の前に「먹(다)」を置いているため,主体が直接食べる行為を,後者は「-어 주다」の前に「」の使役動詞「먹이(다)」を置いているので,他の人が食べるようにするという主体の行為を表すものです。
 これは「쥐다」の場合も同様です。

(2)ア. 그는 아이가 말고삐를 놓칠까 봐 그것을 대신 쥐어 주었다.
   イ. 농부는 아들에게 삽을 쥐여[쥐이어] 주었다.

(2)アの「」は「아이」のために直接手綱をつかむ場合であり,イは,「농부」がシャベルをつかむ時に,未熟な息子を指導して,息子がシャベルを正しくつかむようにさせる場合です。ここで,前者は「-어 주다」の前に「쥐(다)」を置いているため,主体が直接つかむという行為を表し,後者は「쥐다」の使役動詞「쥐이(다)」をおいているため,他の人がつかむようにさせる主体の行為を表すものです。
 このように「-어 주다」構造には,先行動詞が主体の直接的な行為を表す場合と,他の人がある行為をするようにさせる主体の行為を表す場合があります。ゆえに場合によって,適切な先行動詞を選ばなければなりません。ご質問の「그녀는 조카에게 용돈을 쥐어 주었다」では「그녀」が直接小遣いをつかむという行為を表しているのではなく,「조카」のために「조카」が小遣いをつかむようにさせる行為をするものであるので,「쥐어 주다」ではなく,「쥐여 주다」を用いるのが正しいです。
 
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