【カナタ電話第12巻第4号】

キーワード:감기고뿔

Q:(第12巻第4号:2002年冬)最近、風邪が流行していますが、ニュースを見ると、時々司会者が、감기 の代わりに 고뿔 という言葉を使ったりしています。この言葉が元々どこから来た言葉なのか気になります。
A:고뿔 は、감기 を日常的に言う言葉で、元々 곳블 から形がかわった言葉です。곳블 は次の例の(ア)のように16世紀の国語の資料に初めて登場します。

(例)ア. 그 집안 사히 다 그 그모도록 곳블도 만나디 아니 며 다 가짓 쟝셕 귓것도 피리라 (본문온역이해방(1542)より)
    その家の人々は全員その年が暮れるまで風邪も引かず5種類の伝染病と鬼神も避けるであろう。
   イ. 害鼻淵 곳블 (同文類解 (1748)より)

 곳블 は、고 + ᄉ + 블に分析することができます。ここで は、 の古語であり、は、挿入音音で、 の古語です。つまり、この言葉は風邪にかかって鼻が火事になる、という意味を表す言葉で、곳블 > 곳불 > 고뿔 という過程を経て、今日の言葉 고뿔 になったのです。そして 고뿔코뿔にならなかったのは、この言葉がおそらく、ずいぶん前にひとつの単語として固定していたためであると思われます。
 今では 고뿔 より広く使われている、 감기 という言葉は、わが国で作られた漢字語です。ある人は 감기 を中国や日本から来た漢字語であると間違って理解していますが、中国では감기감모(感冒)といい、日本では풍사(風邪)といいます。
 【
目次に戻る

キーワード:빨개벗다빨가벗다

Q:(第12巻第4号:2002年冬)おばあさんが、風呂からあがって服を着ないで歩き回る孫に、빨개벗고 어딜 돌아다니냐 とおっしゃるのですが、童話「벌거벗은 임금님 裸の王様」を見ると 빨개벗고 も 빨가벗고 と書かなければならないのでは、という気がします。빨개벗다 が正しいのか、빨가벗다 が合っているのか、気になります。
A:빨가벗다 が正しいです。多くの人々が、着ていた服を全部脱ぐことを 빨개벗다 とよく使います。これは、빨가벗다빨갛다 の活用形 빨개 ( 빨갛 + -아)벗다 が結合した言葉だと考えるためです。しかし、빨가벗다 は、빨개벗다 が結合した言葉ではありません。빨가벗다 は 발가벗다 の強勢語ですが、발가벗다 は、밝다 の古語  の語幹 「-」 に語尾 '-아'がつき、これに 벗다 が結合した言葉です。そして 발가벗다 の、陰母音で出来た言葉である 벌거벗다 は、븕다 の語幹 븕- に語尾 -어 が付き、これに 벗다 が結合した言葉です。

    - + -아 + 벗다 > 발가벗다:빨가벗다
    븕- + -어 + 벗다 > 블거벗다 > 벌거벗다:뻘거벗다

したがって、발가벗다, 벌거벗다 の強勢語は、「빨개벗다, 뻘개벗다」 ではなく、「빨가벗다, 뻘거벗다」 と書くのが正しいのです。
目次に戻る

キーワード:누군가누군가가

Q:(第12巻第4号:2002年冬)文を書いていると、"누군가 나에게 다가왔다."のように書かなければならない場合があります。しかし、"누군가가 나에게 다가왔다."と書かなければならないような気もしたりして、混乱します。どちらが正しい表現なのか、または望ましい表現が他にあるのか、教えてください。
A:'누군가'は、'누구인가' が、縮まった言葉です。'누군가, 무언가, 어딘가' などの、'누구인가, 무엇인가, 어디인가' 等は、代名詞 '누구, 무엇, 어디' などに、叙述格助詞 '이-' が結合した後、これにさらに終結語尾 '-ㄴ가' が結合された構成です。ところで,叙述格助詞 '이-' は、母音で終わる体言の後でよく省略されて使われます。'소이다, 노래이다, 소리이다' 等が、'소다, 노래다, 소리다' などに縮められるのは、そのような例です。
 '누군가 나에게 다가왔다' で、'누군가' は、主語ですが、上で述べたように'누군가' の '-ㄴ가' が終結語尾であるならば、語尾が主語を作ることになり不自然に見えることがあります。しかし、この時の '누군가' は、主格助詞 '' が省略されたものなのです。

(1)누군가(가) 나에게 다가왔다.
  누군가: 누구+(이-)+-ㄴ가+(가: 主格助詞)

(2)철수는 뭔가(를) 보았다.
  뭔가: 뭐(무엇)+(이-)+-ㄴ가+(를: 目的格助詞)

(3)그는 어딘가(에) 숨어 있다.
  어딘가: 어디+(이-)+-ㄴ가+(에: 副詞格助詞)

 (1〜3)の例で見るように '누군가가, 뭔가를, 어딘가에' などは、'누군가, 뭔가, 어딘가' 等に、格助詞 '가, 를, 에' などの省略が自然に起こります。
 したがって、質問された文章で '누군가' は、'누구인가가' において叙述格助詞 '이-' と主格助詞 '' が省略された形態であって、"누군가 나에게 다가왔다." と、"누군가가 나에게 다가왔다." は、どちらも正しい表現です。
目次に戻る

キーワード:受身表現,죽임을 당하다죽음을 당하다

Q:(第12巻第4号:2002年冬)"그는 강도에게 죽음을 당하였다." という表現は適切でしょうか?
A:間違いです。"그는 강도에게 죽임을 당하였다.(彼は強盗に殺された)" と直して初めて正しい表現になります。'죽임을 당하다'は よく '죽음을 당하다' と混同される場合が多いようです。このような混同は、現実的にどちらの表現も使われているため生じる現象ですが、実際には両者の使われ方ははっきりと区別されています。

(1)ア.낙랑 공주는 아버지에게 죽임을 당하였다. (○)
    楽浪公主は父に殺された。 
【注】
   イ.낙랑 공주는 아버지에게 죽음을 당하였다. (×)

(1ア)は、'父が、楽浪公主を殺した' という能動行為を前提とした被動表現ですが、ここで「楽浪公主」が被ったことは、父という具体的な人物の、殺す行為、すなわち '죽임' です。それで '죽임을 당하다' が自然であり、(1イ)のように、'죽임' の代わりに '죽음' をあてはめた場合には、不自然な表現になります。
 一方、次の例文は少し違う場合です。

(2)ア.그는 교통사고로 죽임을 당하였다. (×)
   イ.그는 교통사고로 죽음을 당하였다. (○)
    彼は交通事故で死んだ。

(2ア)は、具体的な人物の、殺すという行為を前提にしていないので、'彼'が被ったことは、'죽임' ではありません。'彼'は、偶然に '죽음' という、よくない出来事に直面したのです。それで、'죽임' を入れた(2ア)が不自然で、'죽음' を入れた(2イ)は、自然な表現になります。
 これを整理してみると、'죽음을 당하다' は、殺すという行為を行なう者が具体的に存在する時、使われる表現であり、'죽음을 당하다' は、殺すという行為を行なう者が存在しなかったり、漠然としている時に使われる表現であることがわかります。これに従えば、"그는 강도에게 죽음을 당하였다." という表現は、殺した行為者がはっきりと存在している場合であるのに、'죽음을 당하다' と表現していることで、間違った表現になります。これは、"그는 강도에게 죽임을 당하였다." と書き直さねばなりません。
【注】(油谷)
 楽浪公主=楽浪太守である崔理の娘。高句麗の大武神王の好童との愛のために,武器庫に入っていた自鳴鼓を破り,父に殺された。(『韓国史大事典』高麗出版社より)
 なお,この解説には ’죽음을 당하였다.’ と書かれている。

目次に戻る

Copyright © 油谷幸利 2000-2003 All rights reserved