【カナタ電話第4巻第1号】
キーワード:빙그레と빙글빙글
Q:(第4巻第1号:1994年春)プロ野球球団の名前の中に「빙그레」(にっこり)という名前があります.この言葉はどう分析できますか。また「빙그레」と「빙글빙글」(にこにこ)はどんな関係がありますか。
A:「빙그레」は「빙글」という語根に「-으레」という接尾辞が結合した語形です。これについての音韻論的過程を示すと次のようになります。
(ア) (イ) (ウ)
빙글+-으레 → 빙글+-레 → 빙그+-레 → 빙그레
(ア)はパッチムの ㄹ と媒介母音「-으-」が衝突して媒介母音「-으-」が脱落する過程であり,(イ)はパッチムの ㄹ と初声 ㄹ とが衝突してその強度(strength)が弱い方のパッチム ㄹ が脱落する過程です。ここで「빙글」は「빙글-빙글(にこにこ),빙글-거리다(にこにこ笑う), 빙글-대다(にこにこ笑う)などに現れる語根であり, 「-으레」は「싱그레(にっこり)」,「불그레(少し赤く)」,「거무레(少し黒く)」などに現れる接尾辞です。
一方,「빙그레」という語形は「빙글」という語根に「-에」という接尾辞が結合した語形と見ることもできそうですが,これは前に例を挙げた「불그레, 거무레」などの単語を見ると,そうではないことがわかります。「불그레は「붉-」という形容詞語幹に「-으레」という接尾辞が結合した結果であり,「거무레」は「검」という形容詞語幹に「-으레」という接尾辞が結合し,これに円脣性を帯びた「ㅁ」の影響で「-으레」が「우레」に変化した結果と見ることができるので,接尾辞「-으레」は確認できても,接尾辞「-에」は確認できないのです。
また,「빙글, 싱글, 붉, 검」という語基(base)はすべて接尾辞「읏」が結合し,「빙긋,싱긋,불긋,거뭇」という単語が形成できるという共通点があり,「빙그레」はやはり,「-으레」は「싱그레, 불그레, 거무레」と同一の接尾辞により形成されたことを傍証してくれることがわかります。もちろんこのときの「거뭇」はやはり円脣母音化が適用された語形ですね。
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キーワード:助詞,依存名詞,品詞,뿐, 만큼, 쪽
Q:(第4巻第1号:1994年春)‘뿐’(だけ)や‘만큼’(ほど)は名詞の後に来たら助詞で、冠形形語尾の後に来たら依存名詞だということは知っています。しかし、‘광장 쪽에서 들려 오는 만세 소리’(広場の方から聞こえてくる万歳の声), ‘영배는 찬성하는 쪽에 속했다’(ヨンベは賛成する側に属していた)の‘쪽’(側)のような依存名詞は、名詞の後に来ても冠形形語尾の後に来ても、常に依存名詞だといいます。‘뿐’や‘만큼’がほかの依存名詞と異なり、名詞の後に来るときは助詞だと見なす理由は何ですか。
A:‘뿐’や‘만큼’が名詞の後に使われるときは、他の依存名詞と異なり助詞と見なす理由は、前に来る名詞と‘뿐’、‘만큼’の間には別の格助詞が来ることができますが、他の依存名詞はそうはできないという点にあります。次の例を見てください。
(1)영식이는 학교에서뿐이 아니라 집에서도 말썽꾸러기였다
ヨンスクは学校でだけでなく家でもやっかい者だった。
(2)부모님에게만큼은 그러고 싶지 않았는데!
両親にだけはそうしたくなかったのに!
(3) *광장에서쪽이 시끄럽다.
*広場から側がうるさい。
上に見るとおり、‘뿐’や‘만큼’は前に来る名詞との間に‘에서’(で),‘에게’(に)のような助詞が来ることができますが、‘쪽’のような別の依存名詞はそのような格助詞の介在が不可能であることがわかります。‘뿐’や‘만큼’が名詞の後であってもやはり依存名詞とするならば、その前に格助詞が来るという事実は説明が難しいことになりましょう。
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キーワード:-든지と-든가,標準語
Q:(第4巻第1号:1994年春)‘가든지 말든지’(行こうが行くまいが)のように言うのが一般的だということは知っていますが,わたしは普通‘가든가 말든가’のように言います。これは標準語ではないのでしょうか。
A:‘가든가 말든가’のように言うのも,‘가든지 말든지’と同じく標準語です。
現在までに出版された辞典を調べると,この選択や無関係を表わす「-든가」が標準語なのかどうかについて少なからぬ混乱が感じられます。ハングル学会の「ウリマル大辞典」と民衆書林の「国語大辞典」は「-든가」を非標準語として扱い,「-든지」のみを標準語として認めています。そして「金星版国語大辞典」は最初から「-든가」の形を全く挙げておりません。ハングル学会と民衆書林で編纂した辞典での扱いは,1936年の「査定された朝鮮語標準語集」以後,これに基いて編纂した「(朝鮮語)大辞典(1929〜1957)」の扱いを継承したものだと思います。「査定された朝鮮語標準語集」は「-든가」に対して言及した部分がなく,「大辞典」では「-든지」と同じ意味であるが非規範的なことばとして処理しています。このように今まで標準語であるのかないのか,特に定められていないことばは,辞典での扱いが標準語を判別する規範として通用してきました。
しかし,「-든가」に対する現在の辞典の扱いをそのまま認めるには,現行標準語規定と一致しないという問題点があります。標準語規定第17項は,似たような発音を持ついくつかの形態が使われる場合,その意味に何の違いもなく,そのうちの一つがより広く使われるときには,その一つの形だけを標準語とすると規定し,過去を回想する語尾「-더-」が結合したたくさんの形の語尾,すなわち「-던, -던가, -던걸, -던고, -던데, -던지」のような語尾はこの形が標準語であり,これと発音が似ている別の形「-든, -든가, -든걸, -든고, -든데, -든지」は標準語ではないと定めています。ところが同じ項の備考欄に,これら回想を表わす語尾「-던, -던지」とは別に,選択・無関係の意味を表わす語尾としては「-던(지)」が標準語であることを示しています。「-든가」の形もこの備考欄に「가든(지) 말든(지)」とともに「보든(가) 말든(가)」として例示されています。「가든가 말든가」を標準語と見るのはまさにこの規定の備考欄の解釈によるものです。したがってたとえ現行の辞典で「-든가」が非標準語として扱われたり,全然言及されたりしていなくても,標準語規定により「-든가」は標準語と解釈しなければなりません。今後編纂される辞典はこの点を反映しなければならないだろうと思います。
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キーワード:쓰라か써라か,命令形
Q:(第4巻第1号:1994年春)試験問題を作るたびに気になっていたことですが,問題の答えを「쓰라」(書け)とすべきなのか,「써라」(書け)とすべきなのか分かりません。
A:「쓰라」の「-라」は文語体で使う命令形の終結語尾です。この語尾は母音で終る動詞の語幹について「마시라」(飲め),「달리라」(走れ)のように使われます。子音で終る動詞の語幹には「먹으라」(食べよ),「입으라」(着よ)のように「-으라」が使われます。このような文語体は日常生活ではあまり使われません。日常生活では「마셔라」(飲め),「달려라」(走れ),「먹어라」(食べろ),「입어라」(着ろ)のように「-어라」という命令形語尾を使うのが自然です。結局問題を記述するとき「쓰라」とすべきか,「써라」とすべきかは,文語体の調子を使うか,口語体の調子を使うかという問題だといえましょう。どちらを使っても規範的に間違っていることはありません。ただ問題の記述に使われる他のさまざまな類型のことばと一致するのが望ましいと思います。「(関係のあるもの同士を)이어라/이으라」(結べ),「(グラフを)그리라/그려라」(描け),「(適切な答えを)고르라/골라라」(選べ),「(次の問に)답하라/답하여라」(答えよ)などは、試験問題でしょっちゅう使われる命令形ですが,一貫性を保ってある一種類に統一して使うことが必要です。どれに統一するかということは簡単には判断できない問題ですが,日常生活でのことばと異なり,問題の記述は文字で対話するものだという点を考慮すれば,口語体よりは文語体の方がより望ましい形態であると思います。したがって,「써라」よりは「쓰라」で書き,他の形態もこれにあわせて書くことがよりよいでしょう。
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キーワード:라면か나면か,外来語の綴り字
Q:(第4巻第1号:1994年春)「라면」(ラーメン)は頭音法則によって「나면」と書くべきではありませんか。
A:「라면」は中国語から借用したことばです。中国語から新しいことばが借用される際には2種類の方法があります。第1は中国音そのまま、すなわち中国式漢字音がそのまま国語に入ってくるものであり、第2は「電気」のように新しい言葉が漢字といっしょに入ってくることによって、わが国の漢字音で読まれるものです。「라면」が第2の方法によって入ってきた漢字語なら当然頭音法則により「나면」と書かなければなりませんが、このことばは漢字語ではなく第1の方法により中国語から入ってきた外来語です。すなわちこのことばの漢字表記は「拉麺」または「老麺」であり、わが国の漢字音どおりなら「납면」または「노면」となるはずですが実際の音は「라면」なのです。
このことばに該当する中国語を外来語表記法により書けば「라몐(lamian)」または「라오몐(laomian)」です。しかしながらわが国の人々はこの本来のの中国語をよく認識できず、「몐」をわが国の漢字語どおり「면(麺)」と考え、いつのまにか「라면」のように変形して使っています。もちろんそうだとしても、このことばは「라」という外来語と「면」という漢字語に分析することはできず、それ自体で固まったひとつの外来語です。したがって中国語どおり「납면」とか「노면」と書くこともせず、漢字語のように「나면」と書くこともしません。既に国語として定着した外来語なので,「남포」(ランプ)や「빵」(パン)のように本来のことばと関係なく広く使われている形態どおりに「라면」と書くのです。
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キーワード:日韓の敬語体系,相対敬語と絶対敬語
Q:(第4巻第1号:1994年春)職場で実施された社員教育の時間に、平社員が部長に課長の話をするときは「과장님이 (...)」(課長さんが)とは言わず、「과장이 (...)」(課長が)と下げたことばを使わなければならないと聞きました。しかしながらそのような言葉を使うのは気分的に落ち着きません。正しいことば遣いはどうなのですか。
A:自分より目上のことを、それよりもっと目上の人に話をするとき、話題の対象になる人を低くいうのは、日本式ことば遣いです。しばしばわが国の人の中にこれと同じように話なさなければならないと考える人がいるのは、このような日本式ことば遣いの影響によるものです。自分より目上は、いつでもどこでも高く表現するのがわが国語の正しい使い方です。たとえ部長の前であったとしても、課長は語り手である平社員より目上なので、「과장님은 자리에 안 계십니다.」(課長さんは席においでになりません)のように高めて話さなければなりません。
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キーワード:正しい綴り字,-잖 か -찮 か
Q:(第4巻第1号:1994年春)「-잖」と「-찮」をどう区別して書くべきですか。
A:ハングル正書法第39項には「語尾『-지』の後に『않』が続いて『-잖』になるときと,『하지』の後に『않』が続いて『-찮』になるときには,縮まったとおりに書く」と規定しています。従来の正書法統一案では「쟎, 챦」と書いていたのですが,縮まった形態がひとつの単語のように扱われた場合には,しいてその原形と結びつけて縮まった過程の形態を明らかにする必要はなく,短縮語とそうでないものの間の区別が任意的であるため,一括して「-잖, -찮」と書くように規定したのです。
しかし規定にはどの場合に「-잖」を使い,どの場合に「-찮」を使わなければならないかに対する説明が不足しているために,上のような質問が出てきたのだと思います。規定によると「-지 않-」が縮まれば「-잖」と,「-치 않-」が縮まれば「-찮」と書くようになっているので,前のことばが「-지」であるのか「-치」であるのかによって違うように書きます。「-지」は「않다」や「못하다」のような補助動詞(形容詞)と結合して否定の意味を表わすのに使う語尾です。したがって全ての語幹に「-지」が付くのが原則です。問題は「-치」です。「-치」は「하(다)」で終わる語幹に「-지」が「-하-」と合わさって縮まったもので,「-하-」の縮約現象が複雑なため「-치」が現れる環境も複雑になります。
「-하-」が縮まるときは
(1)「-하-」の「ㅏ」が省略されて「ㅎ」が次の初声と融合して激音となるもの
例: 간편하게 > 간편케(簡便だ), 흔하지 > 흔치(ありふれて)
(2)「ㅎ」が語幹の終声に縮まったもの
例: 아무러하다 > 아무렇다(どうしよう), 이러하다 > 이렇다(こうだ)
(3)語幹の「-하-」が完全に縮まった場合
例: 거북하지 > 거북지(気まずく), 생각하건대 > 생각건대 (思うに)
の3種類の形態で実現されます。(1)の場合は「-지」が「-치」と変化する一般的な場合で,この場合は「-찮」で書かなければなりません。(2)と(3)の場合は「-지」が「-치」に変化しない環境です。したがってこの時には「아무렇잖다, 이렇잖다」,「거북잖다, 생각잖다」のように「-잖」で書かなければなりません。特に(2)に関連して「귀찮(다)」(面倒だ)や「점잖(다)」(行儀がよい)のように語幹の終声が「ㅎ」である場合はみな「귀찮잖다, 점잖잖다」のように「-잖」と書かなければなりません。
さて残った問題は(2)と(3)が現れる条件を明らかにすることです。(2)は本来のことばより短縮語が広く使われ,別の語尾が連結するときも「ㅎ」で終わるㅎ不規則用言と同じ変化を見せるので区別することができます。(3)は終声が「ㄱ,ㄷ,ㅂ」のように無声子音で終わる語幹に現れます【注】。「거북하(다)」,「생각하(다)」などすべて「ㄱ」で終わっているので「-지」の前の「-하-」は完全に縮まり,「-지」は「-치」になることができません。
整理すると,「하다」が付くことばの中で「하다」を除いた部分が「ㄱ,ㄷ,ㅂ, ㅎ」で終わらない場合にのみ「-찮」を使い,あとは「-잖」を使わねばなりません。
油谷注:正確には,語幹から「하」を除いた部分と言うべきであろう。
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キーワード:正しい綴り字,어떻게 か 어떡해 か
Q:(第4巻第1号:1994年春)「어떻게」と「어떡해」はどちらが合っていますか。
A:両方とも合っています。発音が似ているためよく混同して使われるものですが,使い方に違いがあるので注意しなければなりません。
「어떻게」は「어떠하다」(どうである)が縮まった「어떻다」に語尾「게」が結合して副詞的に使われることばであり,「어떡해」は「어떻게 해」(どうする)という句が縮まったことばです。この2つは意味が異なるだけでなく,前者は単語であり,後者は句であるため,文章での使い方も大変違っています。「어떻게」は副詞形なので多様な用言を修飾します。
例: 너 어떻게 된 거냐? お前どうしたのか。
이 일을 어떻게 처리하지? これをどう処理しようか。
反面「어떡해」はそれ自体が完結した句なので叙述語として使うことはできても,他の用言を修飾することはできません。
例: 지금 나 어떡해 今ぼくどうしよう。
*이 일을 어떡해 처리하지? (*このことをどうしようか処理しようか)
どちらも疑問の意味を持っていて勘違いしやすいので,表記するときご注意ください。
最後に付け足したいのは「어떡해」の表記です。語文規範には短縮語を書くときは,原形との関連性を最大限明らかにするようにとしています。「어떡해」は「게」から「ㅔ」が省略され,残りの「ㄱ」が前の音節のパッチムとして前に付いて(ハングル正書法代32項参照)できたことばです。「ㅎ」を「ㄱ」が押し出したのは「ㄱ」が「게」の存在を推測できるようにするためです。こんなわけで「어떡해」と書くのが表記の効率性を高めることになります。
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